アースデイ1999―2000

アースデイ1990

地球市民の誕生

カリフォルニアから世界中に呼びかけられた初めてのアースデイで、日本では全国200か所、1000をこえるグループが参加。三万人が参加した東京・夢の島のフェスティバルをはじめ、日本各地でシンポジウム、記念植樹、ごみ拾い、フリーマーケット、手作りはがきや廃食油のせっけんづくりの実演と、自由な発想でバラエティにとんだ楽しいイベントが催されました。
このアースデイをきっかけにライフスタイルの見直しと地球にやさしい生活を提案した「地球を救う133の方法」、企業の環境に対する責任と配慮を考えた「バルディーズ原則(現、セリーズ原則)」が紹介されるなど、具体的な動きも活発になりました。
1990年4月22日のアースデイは、世界141の国。地域で2億人が参加する一大イベントとなり、それぞれの国・地域・個人にとって、これから10年、自分たちのアースデイをつくっていくための希望に満ちたスタートになったのです。

アースデイ1991

多彩で多様な広がり

91年のアースデイは、札幌・中島公園でのフリーマーケット、東京・日比谷でのコンサート&環境テント市・パネル展、香川でのドングリの種まきなど、各地でさらに多くのグループが多彩でユニークなイベントを開催しました。
そうした中で、生まれてきた新しい動きがありました。各地で環境運動をしていた人たちがお互いに手を取りはじめたのです。その結果、個人で取り組むよりも、より効率的に、効果的にグローバルに問題と接することができるようになりました。この情報交換とネットワークづくりを少しでもサポートしたいと、アースデイの時期のみだったニュースレターを年間を通じて発行するようになりました。
他にも流通業界にアースデイへの協力を呼びかけるキャンペーンや、環境教育のリーフレット、身近でできることをイラストにしたハガキの作成、92年のアジア・アースデイに向けた7ヶ国語のアピール文の発表などが行われました。

アースデイ1992

アジアとのつながり

アースデイ3年目の1992年は、ブラジル・リオで地球サミット(UNCED)が行われたこともあり、アースデイを行う人びとの中で、変革するものの対象が、自分自身のライフスタイルから、様々な側面へと広がっていったといえます。
連絡所からも2つのテーマ「アジア」と「環境自治体」を提案、積極的にキャンペーンを展開しました。
「アジア」というテーマでは、南北問題の問題点とアジアとの関わりを提案した『豊かさの裏側』を発行し、東京・代々木公園で行われたアジア・フェスティバルでは数万人の人が参加し、日本にいながらアジアとどのような関係をつくっていくかを考えるきっかけとなりました。「環境自治体」というテーマでは、自治労との協力で「環境自治体づくり」のキャンペーンをすすめるほか、今では恒例となった環境自治体会議が北海道・池田町でスタートしました。
さらには、市民による自主的な政策づくりへの挑戦として「環境法制検討市民委員会」が発足し、あるべき環境基本法の姿を求めて、各政党との話し合いや専門家を招いての勉強会など精力的な活動をしはじめました。

アースデイ1993

社会の仕組みへの参加と海外とのつながり

92年夏から活動を始めた「環境法制検討市民委員会」は、2月に環境基本法市民草案を発表し、春からはWWF、連合とともに「環境フォーラム・ジャパン」を発足させ、各地での集会を通じて様々な立場から環境基本法に対する議論を深めるとともに、各政党に対するアンケートを実施するなど市民の総意をいかした法制定を求めるキャンペーンを基本法成立まで展開しました。
また、地球サミットでの宿題とされたアジェンダ21の自治体版ローカル・アジェンダの作成をはじめ、ますます環境自治体の実現が迫られたこともあり、引き続き「環境自治体」をテーマとし、沖縄・読谷村で開催された第2回環境自治体会議では、アジアなど海外との関係に目をむけた幅広い議論がなされました。

アースデイ1994

地域で集う、お互いを知る

年明け早々の郵便料金値上げで迎えた94年は、郵政大臣との話し合いや、郵政省と共同で封筒なしでニュースレターを発送する実験を行うなど、市民活動を支える社会制度をつくろうというアクションで始まりました。
この年の共通テーマは「討論」。地球環境、開発、平和、戦争、人権などについて、改めてお互いの立場と意見を知り合おうというものです。各地との連絡役に力点をおいてきた連絡所が、初めてイベントに挑戦し、アースデイイブには、アジアのアースデイの仲間そしてアースデイ・インターナショナルと日本のNGOが東京に集まり、各地域の様々な問題や今後の展望を議論しました。
アースデイ当日は、「地球に誓おう!市民国会」として、NGO、行政、政治、経済、協同組合、宗教団体、芸能界など各界の代表と、生物種や自然の代理を市民と研究者がつとめる多彩な参加者が、立場をこえて地球への誓いをのべました。

アースデイ1995

2000年へ向けての折り返しの年

2000年への中間年である1995年は、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件と社会的不安の中で始まりました。アースデイはどうなるかと心配されましたが、地球市民の祭典を成功させようという大勢の人々により、ますます多くのアクションが各地で行われました。大震災で深刻な被害を受けた兵庫県西宮市でもアース。ウォッチング・クラブが中心となってアースデイ行動’95震災復興子どもフォーラム「よみがえれ!にしのみや子どもたちからのメッセージ―大震災から学んだこと、伝えたいこと」が開かれました。
この年は、戦後50周年という節目でもあり、夏には韓国の市民団体の呼びかけに応じ、ソウルで開かれた「アジア・太平洋市民社会フォーラム」に参加し、日本のNGOとしてアジア太平洋地域における不戦への決議を発表しました。
また、東京都日の出町のごみ処分場問題を巡り、連絡所では「市民合同調査団」の結成を呼びかけ、市民公聴会を開催。当事者が一同に会し、熱心な議論が交わされました。

アースデイ1996

地球にやさしく、政治にきびしく

1996年は、95年末の「市民公聴会」を受け、多摩地域首長、廃棄物広域処分組合、青島都知事、厚生省の4者に対する提言書の作成で幕をあけました。
アースデイ当日には、連絡所が中心となって「地球にやさしく、政治にきびしく、こんな法律をつくろう!アースデイ市民国会」を開催しました。ここでは、北海道から沖縄まで、文字通り日本全国で深刻な環境問題と直面する地域から多彩な顔ぶれの人々が一同に会し、日本の市民が直面する環境問題を確認しあうと共に、解決方法を提案しました。
そして毎年開催されてきた環境自治体会議が、第5回の斜里会議を受けて、9月に恒常機関として発足。これまで培ってきたネットワークを活かして、さらなる具体的な連携を目指した活動を開始しました。
また97年12月に開催される温暖化防止京都会議(COP3)に向けた動きも徐々に始まり、年末には連絡所のある市民運動全国センターに気候フォーラム東京事務所が置かれ、1年間、互いに協力して活動していくことになりました。

アースデイ1997

COP3開催、CO2削減に向けて

96年末に京都で結成された気候フォーラムを中心に、97年は温暖化防止京都会議(COP3)に向けて多くのNGOが一斉に動き出しました。各地のアースデイでも、温暖化問題をテーマにしたアクションが多く見られました。アースデイフェスティバル’97 in 東京では、温暖化防止をアピールする日本で初めての約500台の自転車によるパレードを都心で行い、反響を呼びました。
夏ごろからは、連合、WWF・J、アースデイで構成される環境フォーラム・ジャパンが事務局を担い、各地の市民団体と協力してストップ!地球温暖化「列島縦断エコリレー」を全国6コースに分かれて展開、全国1474自治体の首長から温暖化防止に努力する旨の署名を集め、最終地点のゴールとなった京都市役所前でCOP3議長の環境庁長官に手渡しました。

アースデイ1998

温暖化防止社会をめざして

97年末のCOP3とエコリレー開催をうけ、温暖化を防止する社会を実現するアクションを起こすことが98年の課題でした。
最初の取り組みが、アースデイ”温暖化防止”市民国会でした。ここでは、地球温暖化の影響を再検証すると共に、日々の暮らしで温暖化防止に取り組む市民から、誰にでも実践できる具体的な方法を提案してもらいました。そして、”温暖化防止に関する市民立法を進める会”がまとめた「温暖化防止活動推進法案」を提案し、政府担当者と市民団体との討論を行い、500名を超える参加者により趣旨採択を行いました。
また環境フォーラム・ジャパンとの環境自治体会議が協力し、自治体の温暖化防止へのグローカル・アクションを提起。その第一段階として、エコリレーで署名をした約1480の自治体首長に対して、「グローカル・アクション展開のための環境政策実施状況調査」を実施。9割以上の自治体首長からの回答をもらい、グローカル・アクションにつなげる貴重な資料となりました。

アースデイ1999

重点目標を掲げ実現めざす

新しいミレニアムを翌年に迎え、環境NGOだけでなく、幅広い分野のグループの参加を得てアースデイ2000を盛り上げるため、アースデイ2000企画・運営委員会が設置され、名称を改めたアースデイ2000日本連絡所がその事務局を務めました。
アースデイ2000キャンペーンの重点目標として▽フロン回収を義務づけよう▽自然エネルギー買い取り法をつくろう!▽「クルマを使わない日」をつくろう!—などいくつかの目標を掲げて関係するグループと協力して、その実現を目指しました。
その一環として、アースデイ2000に渋谷でカーフリーゾーンを実現させようという計画を進めましたが、様々な障害があり、実現はしませんでした。しかし、この過程で、交通問題の市民団体が幅広く連携する必要性が認識され、ネットワークづくりの気運が盛り上がりました。

アースデイ2000

環境の21世紀のために

新しい1000年紀の幕開けを飾るアースデイ2000は、4月22日を中心に世界中で繰り広げられました。米国のアースデイ・ネットワークに寄せられた参加表明は、181ヶ国4500グループに上りました。
日本では約160ヵ所で、多彩なイベントなどが開催されました。東京・日比谷公園ではアースデイ2000TOKYOが開催され、数寄屋橋などの繁華街を通る初の日韓同時自転車パレードが行われました。
また、アースデイ海外チームが中心となって、アジア共通アクションとして、簡易測定キットのより二酸化窒素の一斉測定や共通バンダナの着用などを行い、環境問題に取り組むアジアのグループとのつながりを深めました。
IT革命時代を象徴するアースデイ2000イベントとしては、インターネットを使って米国のアースデイを中継したりしたアースデイ2000@原宿が注目を集めました。
5月には、熊本県水俣市で第8回環境自治体会議が盛大に開催されました。会員自治体の共通目標の正式設定が確認されたほか、プロジェクトのテーマを含む21の分科会で参加者が議論を深めました。会議自体も総論レベルでの話し合いの場から、各論の実践を積み重ね、互いに検証する場へと変わり始めています。
1990年から2000年を活動期間としてきたアースデイ2000日本連絡所は、その役割を終えて年末までに解散しました。
しかし、連絡所の機能の一部は、いくつかの新しいグループに引き継がれます。
アースデイ海外チームは、ASAP21(Action for Sustainable Asis Pacific 21)を結成。日常的なアジア各国との連携を強化します。
また、メディアやインターネット上のアースデイを通じてアースデイを広げていく組織として、アースデイ・フォーラムも結成されます。
また、各地から寄せられるイベント情報などを年間を通じてインターネットで紹介していくエコクリップも誕生しました。
さらにアースデイを東京中に広げていくグループとしてアースデイ東京が年内には結成される予定です。
21世紀のアースデイは、新しい仲間を加えてさらに大きな広がりを持っていくでしょう。


出典:アースデイ記録集1990―2000 アースデイ2000企画運営委員会